4.雑感

4-1 タワークレーンと共に

昭和39年(1964年)秋、東京オリンピックも終わり世の中がほっと一息ついた。そんな時、タワークレーンの業務に就いた。それ以来、途中土木現場と本社勤務の3年程を除き、都合35年間タワークレーンと付き合ってきた。
タワークレーンの第一世代では、実際に国産第1号機は見ていないが、同型機(もしかしたら1号機かも知れない)が東京砂町の工作所構内に設備用として設置されていて、月例点検でこのタワークレーンに登ったことがある。
第二世代では、昭和40年当時すさまじい勢いで建築の揚重工法がタワークレーンに取って代わった。1年間に10台近く納品され、全国の工事現場に投入された。大阪勤務だったので静岡以西の現場を飛びまわり、組立・クライミング・解体の指導で明け暮れた。
電子式モーメントリミットの実用化は、オペレータが今吊っているつり荷重を、運転室内の計器盤で目視出来るようになり、オペレータとしては案心してタワークレーンの運転が出来るようになったのである。それまではモーメントリミットが作動するとしても、つり荷重は目測とタワークレーンのたわみ等の感覚で判断し、いわゆる目隠し運転状態であったのである。
第三世代では、油圧クライミング機が開発されても旧来機のワイヤクライミング機を多量に保有しており、油圧クライミングの台数はなかなか増えない。となると、ワイヤクライミング機で、いかに効率的にクライミング作業をするかと大いに工夫したものである。最初の頃は、メーカの取り扱い説明書のとおり作業を行っていたが、いろいろと手順を変更したり、取外す箇所や仮置き場所などに工夫を凝らして行く内に、 1日3段のクライミングが出来るまでになった。
第四世代では、長年裏方として現場支援を行っていたが昭和61年に超高層ビル工事に勤務した。タワークレーンは計画の早い段階から検討され、設置を完了して動き出すと後は繰り返し作業で手離れが良い。現場ではタワークレーン以外による揚重が問題である。人荷エレベータ・高速貨物リフトは、その都度通路や昇降路周りの養生が付いて回り手間がかかる。仕上げ工事では人荷エレベータや高速貨物リフトによる揚重が昔から行われている。近年注目されているのが物流システムである。仕上げ材料を効率よく揚重し、発生する産業廃棄物を荷卸し片付けする。それに作業員を早く作業場所に送り届けることをシステム化して、現在では効率的な物流システムが構築されている。

4-2 事故に思う

平成10年1月、タワークレーン本体が落下するという事故がテレビや新聞のニュースで流れた。
話は古くなるが、第二世代のタワークレーンはワイヤクライミング方式である。当時クライミングに立ち会う時は何時も「落ちやしないか」とひやひやしながら作業をしたものである。
過去にタワークレーンのクライミング中に本体が落下する重大事故が発生したと聞く。原因はいろいろ有るが、引っ張り上げる方式は「落ちる」と言うことである。この「落ちる」を解決するために油圧クライミングが採用され「押し上げる」ことで「落ちる」は解決した。上下クライミングカンヌキが全て同時に抜けることは確率的には非常に小さいだろう。
感ずるところ、現在のタワークレーン関係者のその多くは、油圧シリンダ又は電動シリンダによる尺取虫方式のクライミング方式で育ったの人がほとんどであり、あまりクライミングにおける事故の怖さも知らずに業務をしているのではないだろうか。事故に学び、そして事故の再発防止に努めなければならない。
タワークレーンは1号機以来、数々の開発・改良がなされ、今日に至っている。この間、尊い犠牲もあり、「人・物・金」と多大の費用と時間を費やして来たのである。過去に学び事故を風化させることなく、先人達の経験を現在に生かして行かなければならない。諺に「10年ひと昔」と言うが「ふた昔」もすると、時代の変化と人の入れ替わりで過去の貴重な経験が失われて行く。「歴史は繰り返す」ということにならないよう、関係者は次世代へ技術を継承し、貴重な経験を語り継ぐことで新世紀もより安全な業務遂行がなされることを願ってやまない。

あとがき

これまで、貴重なホームページを拝借して5回にわたり掲載させていただきありがとうございました。
第1回の第一世代 塔型クレーン「デリックからの世代交代」に昭和36年当時の建築工事における揚重機について記述した。当時の写真を探したが掲載の時間に間に合わなかった。その後、荷物を整理したところ、セピア色に変色した40年前の懐かしい写真2枚を見つけた。写真の裏には「1961年7月撮影」とあった。被写体には13トン吊りガイデリックが2基、0.6立米積みコンクリートエレベータが数基、25トン吊りトラッククレーンP&H355CTCが1台、7.5トン吊り三脚デリック1基が写っている。
ガイデリックは、揚程確保のため12m程の仮設構台の上に設置されている。ガイデリックを仮設構台の上に設置するのには一旦地上に組み立てたガイデリックを、自身のマストとブームで交互に引き上げて設置したと記憶している。今考えても相当な時間と手間がかかった。
三脚デリックは組み立てた鉄骨の上を移動台車で移動させた。現代のタワークレーンによる工法とは比べものににならない重装備である。しかし、先人達は機械も道具も少ない時代にいろいろ工夫して、大きな仕事を成し遂げていたものである。
最近の情報では写真のビルも再開発で取り壊しがささやかれている。40年という時間の長さは、人ひとりの会社人生そのものの時間である。タワークレーンでは国産第1号が生まれ、そして成長し第二世代から第三世代へ、そして現在の四世代目へと着実に成長してきた。これからも第五世代へと歩みを進め、安全で使い易いそして高性能なタワークレーンへと世代交代して行くことを願って「タワークレーン今昔」を終了する。

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